究極の運動音痴だった子供時代

運動会はいつもビリでゴールイン

わたしの運動会の思い出と言えば、万年ビリでゴールしていた事だけです。何をやっても他クラスメートと、歩調を合わせる事ができないなど、不器用に超が3つ付くほどの運動音痴でした。保育園や幼稚園の頃からです。特にパン食い競争は、パンにかすかに触れる事はあっても、まったくとらえる事ができませんでした。見かねてパンをとってくれる教師もいました。 今思い出してもあの時の悔しさと恥ずかしさが、昨日のようにみがえってきます。

他の子はすいすいできるのに・・・

”こっちができなくても、せめてこの競技だけはクリア”とはいかず、何をやっても他の子のようにスムーズにいきません。当然ながら自己肯定感は全滅です。それでも体育の時間は平等にやってきます。結果は火を見るよりも明らかでしたが、プログラムどおりに進む体育は、わたしにとって地獄の時間でした。こうなるとますます運動大っ嫌いになる事は必須です。唯一心癒したのは読書と作文の時間でした。文芸作品からSFあるいは科学の本や詩集など、あらゆる作品を読みあさったものです。

作文は自分の頭の中に浮かんでくる言葉を、そのまま紙の上に乗せていくだけです。頭の中には言葉がたえず渦巻いていましたから、書くことに困る事はありませんでした。ただしその時の気分によってもペースが違ってきます。一定を求められると書くことも苦痛になってきました。

よういドンのピストルに怯え・・・

運動会でわたしが最も恐れたものは、ピストルの爆音です。大きな音が大の苦手だったのですが、誰にもその苦しみをわかってもらえないさみしさに、じっと耐えていました。競争どころの話ではなく、ピストルの衝撃で完全に思考停止していたのです。結果的に万年ビリに拍車をかける事となります。

他の子がつっころぶと立ち止まるわたし

わたしの万年ビリに勢いをつけていたものが、もうひとつありました。隣を走っていた子がけつまづく事です。そのまま走っていけばいいものを、思わず立ち止まってその子を振り向き、さらに立ち上がって走りだすのを見届けてから、わたしもレースを再開します。結果は予想通りビリで到着しました。やっと訪れた名誉挽回のチャンスを、自ら逃していたのです。

けしてその子を憐れんでいた感覚はなく、単にハプニングに弱かっただけだったはずですが、父からは案の定”競争心がなさすぎる”と、何度も叱られました。そもそもなぜここで競争しなければならないのか、ほとんど理解できていなかったのです。”勝つこと”にどのような意義があるのかも、全くわかっていませんでした。

発達障害者に多いアンバランスな運動機能

発達障害者には、逆立ちや片足たちあるいは跳び箱、逆上がりなど筋力を使う競技に、苦手意識を持つ人が多くいます。これは筋力の成長が不特定多数の人よりも、緩やかだからではないかと、仮説を立てている人の話を耳にして、妙に納得しました。

一方で優秀なオリンピック選手も多く輩出していますから、けして当事者のすべてが、深刻な運動音痴だと断定できません。好きなものには過集中で取り組む傾向がありますから、驚異的な練習量を積んで一流になっていく人もいます。

かくいうわたしもウインタースポーツの中でも、特にスキーに深い興味と関心を寄せていた時期がありました。通常の3倍以上の努力と日数を重ねて、ひとどおりの技を習得しています。スキップ演習だけはいまだに苦手です。

さらにピストルのような大きな音が苦手な当事者も目立ちますが、聴覚過敏がある子には、想定以上に大きく聞こえているかもしれません。実際あまりの衝撃に耐えられずに、これがもとで不登校に陥るケースもあるようです。2020年現在は少しずつですが、ピストルを運動会で使わない学校も増えています。

1人1人違う

昨今多様性を認めて対応していく動きが、教育者や支援者の間でも広まっているのは、大変喜ばしい事です。少数派に優しい対応をしていけば、結果的にはみんなの安心感につながっていくのだ、という概念がさらに多くの人達の間で、当たり前になっていってくれたら、わが国で起きている問題の半分は解決するのではないでしょうか。

一方でこだわりが強い当事者本人は、はたして自分以外の人の多様性を受け入れているのか、少々心もとないのが本音です。つい当事者という立場に寄りかかってしまう弱さを痛感しています。お互いの弱さを許しあう社会や街を形にしていきたいと、思うこの頃です。

興味のある事や好きな事ならがんばれる

先述したように運動音痴なわたしが、たった1つ夢中になったのがスキーです。好きな事ならどれだけ過酷な練習でもやり抜くことできました。このあたりはアスペルガー症候群の特性が、本領発揮したおかげでしょう。そもそも運動量は個人差があるのですから、競争にまで強引に持っていって、ハイレベルな要求をしてくる事そのものがずれていると、考えたら間違いでしょうか。わたしはもっとのんびりゆったり運動を楽しみたかったのです。こういう発想の人間もいるのだと知ってください。

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