適度な距離感がわからない

べたべた?冷酷?

発達障害者の特性で適切な距離感が判断できないというのがあります。物理的な距離感と人間関係構築上の意味合いと2つあり、いずれの場合もわたしは距離感を理解できていませんでした。それも人間関係で破綻をきたす要因の1つです。妙にべたべたするかと思いきや、冷淡と評される事もあり気難しいもしくは、神経質と言われていました。

べたべたするのは同姓だけとは限りません。言い方を変えれば馴れ馴れしいとなるのですが、社会的立場に関係なく、誰にでも気軽に声掛けしていましたから、ずうずうしいあるいは大胆不敵とも、受け取れます。子供が臆することなく近づいてきて、ひざに乗ってくるのは愛くるしいですが、成人した大人になってもそのままなのは、問題です。

通常は友達との様々なつきあいの中で、学習していくものでしょうが、わたしはまったく学習できなかったのです。同時に自分が興味ない事には、見向きもしませんから、わたしが居心地よいと感じる距離感を周囲に求めていました。

恋愛も同様に、”わたしだけを愛して””わたしだけを見て”と、女王様のようにわがまま勝手な思いを、求めていくのは相手が自分に、関心と興味を持ち始めるまでです。恋愛遍歴を繰り替えす人の多くは、もしかしたら発達傾向の強い人かもしれません。

”近づきすぎ”でおかしなやつ

距離感がわからないゆえの笑い話のような、ほんとうの話です。”おいで~”と誘われると、身体に密着する距離まで近づいていきます。想定外の状況に大半はのけぞっていました。小さい子供ならかわいいですみますが、成人していたら”きもい”と言われるか、セックスアピールと勘違いされて、”軽い女”になってしまうでしょう。この特性で子供の頃はよくからかわれました。

地図が読めない

距離感のなさは地図の読み込みにまでおよびます。100mと言われても100mが、どの程度の範囲なのかがわかりません。これではどれだけ正確な地図を作製してもらっても役に立つわけありません。

通常は迷うはずのない直線道路で道に迷ていたのは、このためです。方角もさっぱり理解できないですから、妙な冒険心をおこして、いつもと違う道をいきようものなら、自分の家にも帰れなくなります。

物理的距離感は具体的な説明で理解

程よい距離感の距離感は、両腕をまっすぐ伸ばして、届く範囲が基準と教えてもらったのは、30歳過ぎてからです。おおよそ50cm四方の範囲が、お互いに安心できる距離だと知りました。机を1つ間に挟む程度と教える場合もあります。自力では学習できない問題ですから、具体的な説明をきちんとしてあげるのが適切です。

傷から学ぶ事もある

人間関係の距離感は学習するすべが少なく、自力での脱出は難しいです。言葉を重ねてわかるというものではありません。親しい関係ほど本当の事は、言ってもらえないのが現実でしょう。小さいお子さんをお持ちのお母さんは、いかほど育児に苦労されている事でしょうか。

気がついたら嫌われていた、嫌われている事に気づけないといった告白は、当事者会の定番中の定番です。誰よりも空気が読めてしまうゆえに、なんとなく冷たい空気を感じ取った時は、ほんとにさみしく切なくなってきます。裏切られたり騙されたりなど、トラウマをいくつも背負いながら、少しずつ距離感を学んでいったわたしですが、学べない人は何をやっても変われません。

周囲にできる事は、”ここは嫌なのだ”という正直な気持ちを、そのまま伝えてあげる事でしょう。教えてもらわないと気づけない事が多いのです。自分で気づけよ!それくらい察すれよ!と言われても気づけません。理解者を1人でもいいから周囲に作る事も、生きづらさから抜け出す方法でしょう。

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