虐待と発達障害ー社会からみたら

虐待の定義

厚生労働省では児童虐待をおおよそ4つに分類して定義づけています。身体的虐待は殴るけるに加えて、投げ落とす、おぼれさせる、または縄で拘束して室内に閉じ込めるなどの身体暴力が対象です。性的虐待は児童に与える直接的な性的虐待に加えて、性的虐待を見せたり性器に触らせたりすることも含めています。ポルノグラフィティの被写体にすることもダメです。心理的虐待に関しては言葉での脅迫とネグレクト、兄弟間での差別待遇も該当します。子供の見ている前で殴り合いのけんかを見せたら、それも虐待です。

この定義で照らし合わせると、性的虐待以外のすべての虐待をわたしと妹は受けていたことになります。特に母からわたしへの虐待は日常茶飯事ですから、今なら逮捕まではいかないまでも、児童相談所に一時保護されるレベルだったでしょう。

虐待の現状

死亡事例を含む虐待の実態調査は平成に入ってからスタートしていますが、平成2年現在ですでに1000件を超えています。24年までの間に文字通りうなぎ上りに増加して、66000件超えに達しました。死亡事件も数十件起きています。ただしあくまでも通報受けた数字ですから、法の目をくぐって発見されなかったケースを含めると、さらに数字は大きくなるでしょう。

調査が始まる前の昭和時代は、データーがありませんし、東大震災が発生した直後の福島は、調査から外されています。最も多いのはやはり母親からの虐待で次に父親からとの順番になっているのは、一緒にいる時間帯の長さから来ているのでしょう。虐待は3歳までの乳飲み子から始まっています。

発達障害との関連性

発達障害児童は感情のコントロールがきかない、ADHDにいたってはひと時もじっとしていられない、ルールが覚えられない、言葉の成長が遅い、さらに言われている事が理解出来ずに反抗的になるなど、明らかに他の子供とは違い、とても育てにくい子供です。親の思い通りに動いてくれない事にいらいらして、手をあげそうになったとの声をよく聞きます。ましてや仕事と家事と育児で完全にオーバーワークになっている母親が、発達障害児童の育児に疲弊していくのは、今ならわかるような気がします。

様々に虐待に走る要因はあるでしょうが、一番の問題は”ご近所の視線が怖い”という事ではないでしょうか。地方にいくほど近隣から何かと注目されがちです。村社会が近年にいたってもしつこく息づいている点は、困った時に助けてもらいやすくなるメリットの1つになります。その反面”人に迷惑をかける事は悪”と、教えこまれていますから、差別にも容易につながりやすい事も事実です。

勉強会を開いた時に、周囲をキョロキョロしながら入ってきた親御さんの姿が印象的でした。まだ地元長野でもようやく発達障害が話題に上りはずめた頃です。それから10年ほどたつ2020年現在浮き彫りになったのは、教師の無知からくる無理解でした。指導書は念のため教師陣に配布されているようですが、ほとんど読まれる事無く雑多に積まれているだけという現状を耳にしました。

昨今都市を中心に教育セミナーが開催されるようになりました。熱心な親や一部の学校関係者が学習しています。こっそりのぞかせていただいた事が、何度かあります。このスタイルで授業してく入れたら、わたしのその後の人生がもうちょいマシになっていたのかしらと、思いました。少しずつですが前に進んではいるのです。

虐待を受けたその後

以前にも書きましたが某小児科医を講師に迎えたセミナーでは、虐待児童によくみられる愛着障害は、その後の環境が良ければ改善される事が多い、したがってさほどメンタルケアに神経を配らなくても良いと、語られていました。確かに一理ある考え方でしょう。あまり根に持つことなく健やかに成長していく人もいます。

だけど虐待で受けた心の傷はそのまま奥底にしまいこまれて、後になってからちょっとしたことで、頭をもたげてくることもあるのです。発達障害特性と虐待による心理的ダメージがごっちゃになって、もはや大元の原因すらわからなくなってしまう事もおこります。原因究明する事の是非はさておき何十年たっても傷から回復できずに、健全な人間関係や社会生活を築けずにいる成人した”かつての虐待児童”は、実際いるのです。

わが国では子供達へのケアが最優先されますから、どうしても大人のケアは後回しになってしまいます。人材不足および予算不足という状況もありますから、やむを得ないのかもしれません。わたしたち当事者の苦しみに拍車をかけているのが、多様性を認めない社会のありかたです。あまりに利益主義または合理主義に走りすぎていないか、一度立ち止まって考えてみるべき時にきているのかもしれません。

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